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大阪地方裁判所 平成12年(ヨ)10081号 決定 2000年12月11日

債権者

金本永一

右代理人弁護士

竹川秀夫

債務者

大阪エムケイ株式会社

右代表者代表取締役

結城博

右代理人弁護士

森下弘

山下潔

主文

一  債務者は債権者に対し、平成一二年一一月以降本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月末日限り、二八万円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立てを却下する。

三  申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  債権者が債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、七一万八七一二円及び平成一二年八月以降本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月末日限り、二八万円を仮に支払え。

第二事案の概要

一  争いがない事実等

1  当事者及び雇用契約等

債権者は、平成九年一〇月二一日、タクシー会社である債務者に入社し、ハイヤーの運転手として勤務していた。賃金は、月額三五万円の固定給の他に、売上が七〇万円を超えると、超過分の半分が歩合となり、毎年七月と一二月に賞与として支給されることとなっていた。固定給から公租公課を控除した手取りは、毎月少なくとも二八万円となり、賞与も一回につき二五万円は支給されていた。

2  退職届(書証略)の提出

平成一二年四月二四日、債務者所長灘井(以下「灘井所長」という)は、債権者に対して、顧客に対して喋りすぎる、乗車待機中にダッシュボードに足を上げていたなど接客態度上の問題点を指摘し、退職届に署名するように求めた。そのため、債権者は、直筆で「退職届 一身上の都合により退職させていただきます」と書いた退職届を作成し、署名はしたものの、押印はせず、日付欄も空白にして灘井所長に提出した(書証略)。灘井所長は、その退職届をMK労働組合(債務者に勤める労働者三五名全員が加入している)大阪支部長古谷秀雄(以下「古谷支部長」という)に、もし今後も苦情が出れば、債権者に右退職届を提出してもらう、との趣旨で預けた。

3  退職通知

同年六月二日、債権者立会いの席で、債務者の係長辻村英一郎(以下「辻村係長」という)は、古谷支部長から前記退職届を受領した。債務者は、同年六月三日付けで債権者を退職処理したとの通告書を発送し、同通告書は同月八日、債権者に到達した(書証略)

二  争点

1  合意解約の正否

2  保全の必要性

第三当事者の主張

一  争点1について

1  債務者の主張

(一) 債権者はハイヤー運転手として勤務していたのであるが、ハイヤーは、固定の顧客の配車要請を受けて、その運送をすることが業務内容となっており、顧客に対する接客態度等が重視される。したがって、一人の運転手の行為も、債務者の信用及び他のハイヤー運転手の収益に多大な悪影響を与えるものである。

(二) 債権者は、接客態度や待機時における態度が極めて悪く、顧客から再三の苦情が寄せられていた。

そこで、平成一一年八月一四日に、灘井所長は、債権者に対して、接客態度を改めるようにと指導し、三日間の社内研修(第一回)を実施した。

しかし、なお債権者の接客態度が改まらなかったため、平成一二年四月二四日ころ、灘井所長は再度債権者に対して接客態度を注意し、三日間の社内研修(第二回)・六日間の乗務停止を実施するとともに、もし今後接客態度に改善が見られず、苦情が続く場合には、それを理由に退職するよう勧奨し、債権者も接客態度の改善に努めることを確約し、もし今後接客態度等が改まらず苦情が続く場合には、退職する旨を約束して退職届を自筆で書き、署名したが、これらの事情から、日付は空白にし、押印もしなかった。

右退職届の作成時には、債権者も所属しているMK労働組合の古谷支部長にも立会いを求め、債権者は同支部長に右退職届を債権者がもし今後も顧客から苦情が出れば、債務者に提出するとの趣旨で預けた。

(三) その後も債権者の接客態度等に改善が見られず、顧客からの苦情も続いたため、同年六月二日、債務者の辻村係長が債権者に対して、右(二)の確約を確認し、その確約に基づいて、前記退職届の正式受理をする旨確認し、債権者の納得の下に退職届を債権者の面前で、古谷支部長から債務者の辻村係長が受け取って正式に受理し、同月三日付けで、債権者を退職処理し、その旨通知した。

(四) したがって、債権者は同月二日に退職届を正式に債務者が受理した時点で、あるいは右退職届の提出によって合意解約の申込みをし、(書証略)の通告書による債務者の承諾の意思表示が債権者に到達した時点で成立した合意解約に基づいて債務者を退職したのであって、被保全権利は存在しない。

2  債権者の主張

(一) 債務者が問題とする債権者の服務規程違反等は、事実を歪曲したものであり、解雇理由にもならない程度のものである。

(二) 債権者が任意で債権者を退職した事実はない。

二  争点2について

1  債権者の主張

債権者は、平成一二年六月に妻を胃がんで亡くしたばかりであり、二人の子供は妻の実家で面倒を見てもらっているが、娘の収入は妻の実家に生活費として入れており債権者に入ることはなく、息子は大学生で学費も必要であり、本案判決を待っていては生活に支障を来すおそれがある。

また、債権者は現在五〇歳であり、他に職を見つけるのも困難である。

2  債務者の主張

保全の必要性については争う。

第四当裁判所の判断

一  争点1について

1  疎明資料及び審尋の全趣旨によると、次の事実が認められる(前提事実も含む)。

(一) 債権者は、平成九年一〇月二一日、債務者に入社し、ハイヤー運転手として勤務していた。平成一一年五月以降、顧客から、債務者に対して、債権者の言葉遣いに問題がある、待機甲にダッシュボードに足を上げて新聞を読んでいる、などの苦情が寄せられるようになり、債権者は、同年八月一四日、三日間の社内研修を受けることとなった。

その後、債権者が配車指示を受けた際に、以前に苦情を受けた顧客であったことに不満を述べるなど反省の態度が見られなかったことなどから、平成一二年四月二四日、六日間の乗務停止を命ぜられるとともに、三日間の社内研修を受けることとなった。その際、債権者は、灘井所長から退職を勧められたが、これを拒否し、接客態度の改善に努める旨述べた。そこで同所長は、債権者に退職届の提出を求め、今後改善が見られず苦情が続く場合には、その時点で退職届を正式に受理する、と告げた。これを受けて、債権者は、直筆の反省文(書証略)及び退職届を作成したが、退職届に押印はせず、日付も空白にして同所長に渡し、同所長は、古谷支部長に退職届を預けた。

(二) 同年五月三一日、債務者従業員が顧客から債権者が喋りすぎる、債権者が後部座席で寝ていたのを見た、といった苦情を受け、辻村係長が翌日事実確認をした上で、債権者を当該顧客への配車から外すこととした。同年六月二日(金曜日)、辻村係長が、古谷支部長も同席の場で、債権者と話し合い、結局債権者の勤務態度の改善は見られなかった、このままでは債務者のイメージダウンになる、他の顧客からも債権者以外の運転手を希望されることがある、などと話し、古谷支部長に預けてあった退職届を受理すると債権者に告げ、その場で古谷委員長から退職届を直接受領した。

なお、その場で債権者が異議を述べたことはなかった。

(三) 債権者は、同月三日に妻の容態が急変し、入院したなどの事情もあったが、同月五日(月曜日)に、債務者方に退職届の件は納得がいかないと抗議をし、その日のうちに労働基準監督署へ相談に行くなどした(書証略)債務者は、債権者が退職に関して抗議したことを受けて、債権者に対し、同月三日付けで債権者を退職処理したとの通告書を同月七日に発送し、同通告書は、同月八日、債権者に到達した(書証略)。債権者、は、右通告書を受け取ったが、同通告書には健康保険証、会社名義の携帯電話、事務所及び営業車の鍵を一週間以内に返却するようにと記載されていたため、労働基準監督署の指導に従って、同月一三日に「通告書」と題する書面でもって、債務者に対し、退職届を提出していないこと、健康保険証、携帯電話、事務所及び営業車の鍵は、退職証明書等と引き替えで交換することを通知し(書証略)、そのころ、鍵等を債務者に持参して返還した(なお、書証略には、同年七月中旬ころ、債権者から事務所の鍵や営業所の携帯電話及び健康保険証などの返還を受けたとの記述があるが、書証略の通告書には、通告書到達後一週間以内に返却なき場合には法的手段を執るとの記載があり、債権者作成の書証略の通告書には、鍵等は退職証明書と交換するとの記載があり、離職票の交付が同年七月五日になされていること(書証略)などを勘案すると、債権者の述べるところと対比して、右記述は信用できない)。また、債権者は、継続療養手続のための書類を債権者に提出したりもしたが、それは、債権者の妻胃がんのため入院したことによるものであった(書証略)。

2  以上認定した事実に基づいて判断するに、本件での債権者の合意解約の申込みは、平成一二年六月二日の退職届の提出をもってなされたものであると解されるから、右退職届の提出が、債権者の、債務者との雇用契約を解約するとの意思に基づいてなされることが必要である(二度目の社内研修の際に債権者が退職届を預けた時点で債権者が正式に合意解約の申込みをしたとは認められない)。しかし、平成一二年六月二日に退職届を辻村係長に渡したのは古谷支部長であり、債権者は一切退職届に触れることもなく、日付の記入も、押印もなされなかったことは当事者間に争いはなく、そのような経緯で提出された退職届によっては当然に債権者に真実合意解約するとの意思があったと認めることはできない。

古谷支部長から辻村係長に退職届が提出される際に、債権者が明確に異議を述べなかったことは認められるものの、それは辻村係長に以前から今後も苦情が続く場合には正式に退職届を受理して退職してもらうと告げられていたことなどから、その場で咄嗟に対応することができず、またできるような状況ではなかったことによるものと推認されるのであって、異議を述べなかったからといって、債権者が古谷支部長による退職届の提出を真実納得し、承認していたと認めることはできない。

むしろ、退職届提出後の債権者の言動によれば、退職届提出の際に、債権者には合意解約するとの意思は存在していなかったと認めるのが相当である。

したがって、債権者との間で合意解約が成立したとの債務者の主張は採用できない。

二  争点2について

疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は子供二人の三人家族であり(妻は、平成一二年六月一五日、胃がんのため死亡)、子供は妻の実家で面倒を見てもらっているものの、息子はまだ学生であり月額一〇万円の学費を負担しなければならず、娘の収入も妻の実家での生活費に充てていること、債権者には債務者から受ける賃金以外の収入はなかったこと、一か月当たりの生活費が約二八万円程度であること(学費も含む)等が認められる。

しかし、債権者に、平成一二年六月分(未払分)まで遡って仮払いを認める必要性があるとの疎明はなされていないから、債権者が本案訴訟を追行するのに必要な限度として認められる平成一二年一一月分以降本案第一審判決言渡しまでの賃金の仮払いを認めるのが相当である(なお、最終審尋期日は同年一一月二日である)。また、債権者の家計状況に照らせば、本件の金員仮払額としては、毎月二八万円とするのが相当であり、賞与相当分についてまで仮払を認める必要性は認められない。

三  雇用契約上の地位を定める仮処分の申立てについては、これを認める特段の事情を認めるに足りる疎明はなされておらず、これを認める必要はない。

したがって、主文のとおり決定する。

(裁判官 西森みゆき)

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